いつか君と抱き合って、涙流して喜びたい
2019.8.5
とりとめのない話を書きたくなった。
自分のこと。
昔から、やってきたこと、成してきたことより、失敗したこと、足りないことに目がいってしまう。
だから今持っているものに目がいかないし、欲しいもの、足りないものだけが目に入ってずっと満足できない。
多分、ありのままを受け入れるだけの勇気がないだけなんだと思う。
可能性こそ希望だと思っているから、それに縋って何とか空っぽの自分を支えている。
何も持ってないってことは、これから何でも持てるからね。
現実はそんなことないのに。
中高はバレーボール、大学はバンドに、
文字通り心血を注いでいた。
けれど、時折、何のためにこんなに頑張っているのかと分からなくなるときがあった。
バレーボールで飯を食っていけるわけではないし、バンドで稼げるわけでもない。
反面、心血を注がなくても、それなりに仕事していれば、それなりの生活ができる。
食うには困らないし、遊んでくれる友達もいる。
彼女はいないけど、それはそれで自由だしいいかなと思っている。
それでも、自分は何かに魂を燃やし続けなければ生きていけないらしい。
そういう性分に生まれてしまったから、仕方ない。
大した才能も運もないけど、立派に生きることを諦める理由にはならないと思ってる。
良くも悪くも俺は純粋だなと思う。
昔よりは器用に立ち振る舞えるようになったと思うけど、不条理は納得できないし、あるべき論を振りかざしてしまう節がある。
それを押し通せるだけの芯の強さがないから、結局卑屈になってしまうのが自分の1番の弱さだ。
バンドをすれば楽しいし、バレーボールをすれば楽しい。
友達と遊んでも、本を読んでも、音楽を聴いても、旅行に行っても楽しい。
けれど、楽しいことが終わった瞬間、反動でとても虚しくなる。
そういう時は大抵、楽しかった思い出より
虚しさが胸をいっぱいにしてしまう。
好きだった相手に振られたことも、
好きだったアイドルが卒業したことも、
貰ったものより、喪失感が全部塗りつぶしてしまう。
だから嬉しいことも悲しいことも、
全部過去にして生きていくしかない。
そんな簡単に忘れられないから、
難しいんだけどね。
高尚でいたい自分と、酷く俗物的な自分と、二面あるのを感じる。
人に下心を出すのは苦手だし、できれば清廉潔白でいたい。
何かに熱量を持って生きなければならないと思い込んでいる。
その反面、下世話な話もするし、
下心で馬鹿みたいな失敗もする。
どちらにも振り切れないから、
中途半端だなと自己嫌悪してしまう。
皆そうなんだろうか。
そもそもそんなこと考えないんだろうか。
うわべの人付き合いは、それなりに得意だ。
人に本心を晒すのは苦手だから、当たり障りない立ち振る舞いをすることで、何とかやり過ごしてきた。
組織や団体の中の一人としては、それなりに上手くやっていると思う。
だから、同期はたくさんいるし、
知り合いも沢山いる。
けれど、友達って多分本当に少ししかいない。
長く付き合える相手が少ないから、その場その場で新しい知り合いを作って、楽しく暮らす。
その繰り返ししかしてこなかった。
多分これからもそうなんだと思う。
だから、俺は概念になりたいと思っている。
たくさんの人が、何となく自分のことを知っている。それだけでいい。
俺の本質は俺だけのものだ。
誰にも掴ませない。
本当は寂しいけどね。
帰り道に思い立って花を買った。
柄じゃないな、なんて思うけど、多分そういうことなんだと思う。
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